無思考・意思決定・納得

昨年より「無思考」と言うキーワードを目にすることが多くなった。

僕らが提供している「タベリー」というアプリも、その文脈で「献立を無思考で決められるサービス」のように語られる事が多い。けれども、これは僕らのコンセプトや伝えたいメッセージとは結構大きな乖離がある。

そもそも多くの人が「思考しないこと」を本当に求めているのだろうか? 実は僕はそうは思ってはいない。

現代、一日4時間以上接するスマートフォンから次々にプッシュで送られてくる情報についてひっきりなしに考えを巡らすことを強制される。そうやって削られがちな「思考体力」という限られたリソースを、適切に配分していきたいという欲求のほうが正しい解釈ではないかな、と考えている。「人が考えることを放棄したいわけではない」と思えてならない。

そもそも思考は何のためにするのか。それは未来の自分の行動を変えるためではないだろうか。

「意思決定」には、共通のプロセスがあると思う 例えば、「コンビニでデザートを買う」といった小さなことから、「通うべき病院を見つける」といった頻度は多くないものの大きくマインドシェアを奪う意思決定まで、次のようなプロセスを時には無意識下で通過していると思う。

  1. 決めるべきことを正しく認識する
  2. 情報を集める
  3. 情報の信頼度を評価する
  4. 自分にマッチしうる情報をフィルタリングし、優先度をつける
  5. 優先度の高い情報を咀嚼し、意思決定する

1〜4を行ったり来たりしながら、最終的に意思決定を下す。このプロセスの中で、意思決定をするにあたり最も大事なものが醸成されていく。それが「納得」だと考えている。

納得はどうやって醸成されるか

「タベリー」というアプリの話に少しだけ戻る。タベリーは献立の意思決定を科学し、サポートしよう、というアイデアでスタートした(このアイデアを形にしていくプロセスは以下のブログにまとめてある。)

https://yamotty.github.io/post/20171230_day-one/

タベリー開発初期は「1週間分の献立がまとまってレコメンドされる形」をMVPとしてスタートした。しかしそのプロダクトはまったく刺さらなかった。ユーザビリティテストで打ちのめされる中で、僕は「納得感を醸成するプロセスをスキップしていてはPMFできない」ことを深く理解した。

すべての意思決定には納得が必要だ。ではいつ納得は醸成されるのか。それは「具体的な選択候補を比較検討している時」にほかならない。

今日はカレーを外で食べたいと思った時

「近くでカレーが食べられる飲食店」を検索しているだけでは納得感は醸成されない。また信頼関係のない人が「ここのカレー屋さんに行くべき」と急に具体的な候補を提出しても、そこに意思決定できるほどの「納得」は生まれない。

情報の信頼度が理解できた時。例えば親しい友人からの口コミを得た時や、十分な時間をかけて情報を比較検討した時。納得感は醸成される。

”今”のプロダクトの役割

今のプロダクトに求められている役割は「意思決定を置き換えること」ではなく、「意思決定のプロセスをサポートできること」ではないか、と仮説を持っている。

ただスマートフォンの登場によって横に目の付いている人間が縦長のスクリーンから情報を取得する脳に最適化していったように、プロダクトの浸透によって「人間が進化する」というのは一つの事実だ。

いつの日か、人の全ての意思決定をプロダクトが置き換える日も来るかもしれない。