暴君リーダーシップ

自分が仕えたいと思えるようなリーダーシップとは何かを考えてみると、それは暴君とも呼べるようなものだという結論に至った。

そこに至るまでに考えた7つの要素をブレークダウンした。

”大きさ”への狂気がある

様々なエントリーハードルが下がってきた。個人が商売をしやすく、個人が発信しやすく、個人が影響力を持ちやすい。 しかし、だからこそ個人ではできないことにフォーカスしたい。 SNSで受ける創作ではなく、世界を変える創作をしたいと願うとき、本当に必要なのは一人の狂気や偏執だと信じてやまない。そういう狂気のもとでこそ機会が大きくなる。

手綱を離さない

「画を描き、素材を揃え、任せること」がトップの仕事だと語られる文脈は多いが、こと「複合的な発明」の文脈においてそれは必ずしも当てはまらない。走り出した車の運転ではそれでもうまくいくかもしれないが。 カザフスタン共和国という経済成長著しい中央アジアの雄は28年ものあいだ、ナザルバエフという一人の大統領の強力なリーダーシップの元に一貫した成長戦略を実践し続けている。28年もの間、大きな思想に投資し続けられることはどれだけの優位性を産むだろうか。 決してすべてを管理し続けろ、ということではない。果実をその両の手で握れるよう、最も難しく、不確実な問題にアタックし続ける人にこそ惹かれる。

戦う相手を間違えない

「未来に生き、欠けているものをつくる」というテーゼとだけ戦い続ける。 顧客がまだ見ぬ「すばらしいもの」を作るということ、それを多くの人に届けるだけにフォーカスし続けている。 資金の調達や、人材の計画も、すべてはそこから逆算している。 競合との戦いは必ず発生し、避けられない。ただし、それは何かを続ける理由にはならない。あくまでテーゼにすべてを賭けてほしい。

好きこそものの上手である

正しい場所を見つけ、正しい方法を産み、正しいタイミングで、正しい努力を続けたときにだけ、本当に素晴らしいものが産まれる。 どれも難しいが、はじめの3つは偶然で産まれることもある。ただ、正しい努力を続けることは絶対に偶然ではうまれない。 人間は怠惰であり、続けられることは「活きるために必要なこと」「喜べること」の 2つしかないと考えている。好きなことを追求している結果としてのリーダーシップを求めたい。

人へ訴えかけることができる

一人でできることはちっぽけだ、と理解している。 関わる人から応援されるような不断の努力をし続けること。自身を知ってくれる人の中から、「関わりたい」と輪の中に入ってくる人を増やせること。 決して人気者であってほしいわけではない。しかしポジションをとり、信念を伝え、そこに共鳴する一握りの賛同者を確実に捉えるコミュニケーション技術を磨いてほしい。

曖昧さを減らそうとする

曖昧なこと、は「不確実性」と「実験のしにくさ」を飛躍的に高める餌になる。この性質から、「何かをその場に留める引力」をもつ。曖昧さを減らすということは、具体的な行動計画を持つということに等しい。 時間は時間でしかなく、命とも置き換えられる。僕がこれまでの人生で理解した重要な事実として、ほとんどの大事な時間は金では変えない。Time is not money. できる限り「その場での具体的な行動計画」を提示し続けられること。 そして、後に前提が変わるような情報が飛び込んできた時に、瞬時にその意見をアップデートできることを求めたい。たとえその場では間違っていてもいいのだから。

つくっている

実際に手を動かすことの尊さとそこにある困難を理解し、想像を巡らせることができる。 自身が手を動かすことと、その他の仕事との間にあるジレンマに悩める。正しい優先順位と、創造自体の楽しみとの間で揺れながら正しいジャッジを下せる人であってほしい。

そしてこれらの要素はすべて今の自分と理想の間に隔たるギャップとも言える。一つずつで良いから埋めていきたい。


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