格差を生み出しているのは私たち自身?

この本の著者はギリシャ危機の際に、ギリシャ財務大臣を務めたヤニス・バルファキス氏。

現在はアテネ大学で教授を務める。彼にはオーストラリアで長期間離れ離れに暮らす娘がいた。

彼の娘が幼少期の頃に投げかけられたある印象的な質問があった。当時の彼はその問いに対し、自分も娘も納得する答えが出せなかった。それは以下のような問だ。

なぜ人にはこんなに格差があるの?

本書は彼が娘にむけて経済の本質を伝え、自分の言葉で経済を語れるようになってほしいという願いから書かれている。

『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』 - Amazon

ポイント

本書のポイントは「格差」が生まれた、構造的・歴史的な背景を「経済の発祥」まで遡り理解することが1点。

そして格差の解決方法について「ギリシャ危機を当事者として経験したヤニス氏の口から娘へ対して語られる」のが2点目である。

ヤニス氏の結論として、彼は格差への解決方法は「すべてを民主化すること」にほかならないと言う。

一部の権力者が技術・機械を保有して資産を独占する現代は格差の拡大 = 富める人のみがますます富む社会であり、基本的にはこれがさらに促進されていく(商品化)。

そうではなく機械をすべての人に開放し、さらに国民が自分で考え、自分の意見を表明し、格差をなくす方向へ進む民主的な社会を選ぶのか(民主化)。

この2つがぶつかり合っているのが今の社会。どちらを選ぶかによって未来は決まり、その選択は彼の娘を含む、我々に委ねられていると締められる。

Yamottyの意見

本書のテーマが「サピエンス全史」、そして「銃・病原菌・鉄」という2つのベストセラーと全く同じ「格差」という視点からスタートしている。

サピエンス全史の著者・ユヴァル・ノア・ハラリ氏は歴史学者、そして銃・病原菌・鉄の著者・ジャレド・ダイアモンド氏は地理学を専門としているのに対し、本書のヤニス氏は経済学の専門家。

3つの専門性から「格差」をレビューしたときに、殆ど同じ結論 を見出すことが出来る、というのが私にとって一番の驚きだった。

  1. 「格差」は人間の賢さによって生まれているのではなく、地理的な要因によって生まれているということ
  2. 「格差」を埋めるためには、極論として経済の民主化が必要であるということ
  3. 技術/機械は今の所「格差を拡大する方向」に動いていること

特に3点目。

本来であれば「市井の人々の幸福」のためにすべての技術が社会へ適用されるべきであり、僕自身はその活動のために会社を興すということを選んだ。

他方で3つの本から得られた指摘では、それだけでは絶対に格差はなくならないばかりか、拡大する一方だという。

経済への無知・無関心が今の格差を作っており、それを良しとしてきたのは我々自身ということになる。

教養の無さを恥じ入るばかりか、より学びを深めること。そして経済のあるべき姿を自分の言葉で語れる用にならなければいけないな、と。。

※なお、別の「ファクトフルネス」という本の中では「世界的な貧困は改善されている」ことがデータを元に書かれていたが、ハラリ・ジャレド・ヤニスという3名の学者が指す格差は「極めて多くの富をもつ少数の人々」と「それ以外の我々」の間の格差を指している。


経済の始まり

ヤニス氏の娘はシドニー育ちのため、アボリジニーの歴史を学ぶ機会があった。アボリジニーはイギリス人がオーストラリアへ上陸した際に迫害され今も貧困の最中にある。

その理由は何故だかわかるか?なぜオーストラリアを侵略したのはイギリス人でその逆ではなかったのか?そもそもイギリス人が賢いからなのか?

そうではない。

経済の始まり。それは「余剰」である。農耕の技術は「自然の恵みが少ないところで人が生き抜くため」に発達した。そして農耕によってはじめて余剰が生まれた。

この余剰を記録するために言葉や数字が生まれ、貨幣の価値を管理するために国家という概念が生まれ、国家を守るために軍隊が生まれた。

こうして余剰は階級を生み出していく。さらに農耕によって発生した社会的な「余剰」は支配階級が持っていってしまうので、この間に挟まって再分配をする機能として生まれたのが宗教だった。

逆に先程のアボリジニーのような豊かな自然に恵まれ、農耕や余剰を多くは必要としないた地域では何が生まれたのか。

それはアートだった。

余剰が必要のなかったアボリジニーと、余剰を厳しく管理するための経済活動が発展したヨーロッパ人。

両者が戦ったときにどうなったかは歴史が明らかにしているが、決して両者の賢さの差ではないことがわかる。生まれた環境の違いでしかなかった。

市場の誕生

この世の中の価値には2種類ある。交換価値と経験価値だ。

余剰によって生まれた農作物や、嗜好品には「交換価値」が宿り、他方で「2人で観た景色」などには経験価値が宿る。

この2つは交わらず、特に古代アテネなどでは経験価値こそ重要な価値と位置づけられてきた。

しかし現代では、この200年ほどの間にあらゆるものに値段がついて「交換価値」になってしまった。

一部の経験すらも交換価値となり、いまでは遺伝子すらも交換価値となっている。その要因はグローバル交易にある。

貿易のはじまり。ヨーロッパで造船が発達し、螺旋盤が生まれ、羊毛をインド運搬してで香辛料に交換し、商人たちは大きな利益を生み出していた。

香辛料が保存料や薬として多大な交換価値があり、この香辛料でボロ儲けしていた商人をよく思わなかったのは権力と土地をもつ領主。

この領主が世界史史上最も残酷な改革として「囲い込み」を行う。農奴を追い出し、空いた土地で羊を飼い、農奴に借金をさせて羊のを育成させた。

これがイギリスの働き方改革であり、その後に蒸気機関車が生まれた。

この2つは「思いもよらないほどの富と、言葉にならないほどの苦痛」、つまり巨大な格差を産み出した。

利益と借金

産業革命の真の原動力は石炭ではなく「借金」だった。

本書で借金とは「悪魔との契約」と表現されている。

もともとキリスト教のなかで借金は「卑しいもの」だったが、価値の大転換が起きて交換価値が増えてからは社会通念の大逆転が起こり、借金はいつからか「神の計画の一部」と称されるようになった。

この価値の転換が起きたのはなぜか。それはプロテスタントの支配層が商人だったからだ。

借金を償還することを英語でredemptionと言う。この語源は「キリストによる救済」という意味である。

借金の概念は商人によって変えられ、そして「競争に勝つには借金をするしかない」という社会通念が生まれた。

「金融」の黒魔術

銀行は借金を通じて恐ろしく簡単にお金を生み出せる。

1920年代頃、借金を貸し出す銀行は、借金という仕組みを使ってさらにお金を生み出すカラクリをつくった。

新規事業を立ち上げようとしているA社へ5億円の融資を行った際、この債権を小口にして投資家へ販売することで、リスクをなしに利益を生み出すことが出来るようになった。

ヤニス氏はこれを黒魔術と呼ぶ。

しかし銀行が貸付した多くの会社が倒産したらどうなるか?それは実際に起きている。

預金者が不安になり、一気に引き上げを進めようとする。しかしそれに対応できるほど、銀行にはお金がない。

こうなると経済の歯車が逆回転して、金融危機になる。これこそギリシャ危機のプロセスだった。

では銀行が潰れそうなときに救う銀行はあるか?

それが中央銀行である。ところが中央銀行自体もその信頼を失いつつある(後述)。

労働力とマネーが悪魔の正体

交換価値の世界では、価格を下げるとほぼ必ず買い手がつく。しかし労働市場はそうではない。

賃金を下げれば雇用が増やせるわけではない。

賃金が下がった時、経営者は「お得だからたくさん雇おう」という人と、「賃金が下がっているということは今後の不況が予測されるから雇用はストップしよう」という2つの考えに分かれる。

つまり労働市場というのは経営者が市場を楽観か悲観か、どちらで捉えるかで決まる。

これは金融市場も同じである。金利を下げれば借金はしやすくなるが、必ず積極的な投資が進むわけではない。

つまり2つの市場は理屈通りには進まない。その理由は「人間らしさ」にある。

人間らしさとは不完全さ。

感情の浮き沈みがあり、無駄をし、常に相手の期待に応えられるわけではない。こういった人間が持つ不合理さは賃金や金利でコントロールできるものではない。

この人間らしさの克服のために、人間は機械を生み出し、使おうとしている。

恐るべき「機械」の呪い

現時点ですら様々な便利な機械が生まれているが、貧困はなくならず、我々は幸福に成っているとは言えない。

人類が機械を使っているのではなく、機械をメンテするために働いている、そんな状態になりつつあるのではないか。これはサピエンス全史と全く同じ主張である。

また機械はコストカットにつながるが、誰もが導入できる。

機械が導入され、自動化が進むと人件費がかからずコストが下がるが、それをライバルも行い、価格も下がる。

熾烈な価格競争は利益を削り、企業体力が奪われ、倒産が発生する。

倒産がが相次ぐと金融危機が生まれる。これを機械の呪いと称している。

これを解決するには機械をすべての人に開放することだが、それには「一部の有能な機械を保有する権力者」による大きな反対を産む。

貨幣経済の成立

時間を遡り、第二次世界大戦中、ドイツが管理していた収容所の中の話。この収容所は国籍ごとに分けられていた。

収容所の中では小さな経済圏が存在した。

配給される物資の物物交換によって経済圏が生まれたが、中でも交換価値が高いタバコが共通の通貨となった。貸し借りによって利子が発生したり、流通量で価値が上下した。

つまり通貨というのは腐らず貯めれたらなんでも良かった。

だが終戦時、このタバコはすべて吸われてしまい、借りていたタバコも踏み倒され、収容所の中の経済圏は崩壊した。

つまり貨幣経済とは「永遠に続く」という信頼のもとに成立している。

ちなみにこのタバコを配給していたのはある独立団体。この団体はイタリア統一戦争で誕生した。

最も凄惨な戦いが繰り広げられたソルフェリーノ地区を通りかかった実業家が、打ち捨てられた4万人の負傷者を救い、生命を救うという信念のもとに打ち立てたもの。

その実業家の名前はアンリ・デュナン。組織の名前は赤十字団体。武器を持たず、徹底的に中立な立場に立ち、目の前の命を救うという人道支援だけを行う。

赤十字は収容所に「完全に中立な立場」からマネーサプライを行ってきたが、現代社会の経済に置いてその役割を担うのは誰だろうか。

それは中央銀行。ただし赤十字とは大きな違いがある。

中央銀行は政治と極めて密接であり、絶対に中立ではない。我々の経済というのは中央銀行や国家に対する 信頼のもとに成立している。

誰にも管理されない「新しいお金」

2008年、世界的な金融危機がおこったとき、中央銀行や国家に対する信頼が失墜した。

人々がもう中央銀行に左右されない通貨を求めた。その直後の2008年11月、インターネット上にある一本の論文が投稿される。

その投稿者はサトシ・ナカモト。中央銀行に依存しないという難問をアルゴリズムでクリアした、仮想通貨が産声を挙げた。

ただヤニス氏は仮想通貨ですら政治と切り離せないと考える。仮想通貨にも致命的な弱点がある。

それは総量が決まっているという点だ。

金融危機がおきたら誰がマネーサプライするのか?それも政治と通貨を切り離した状態で。

かつて金本位制の時代に、通貨と政治を切り離した時代を我々は経験しているが、その時代にもにも金融危機は引き起こされた。

そして結局国家が介入して経済を救う必要があった。

我々は一度失敗している。民主化されたとしても、仮想通貨では完全ではない。

未来の全てをきめる対決

全てを民主化するしか、これらの問題を解決する方法はない。

現代は 「すべてを民主化しろ」vs「すべてを商品化しろ」 という戦いの最中である。

経済政策を専門家へ任せているばかりではなく、国民が積極的に自分の未来を考え、自らの言葉で経済を語り、民主主義によって格差を埋めるように民意を動かさない限り現状を解決する方法はない。

テクノロジーも一部の資本家がコントロールするのではなく、民主化する必要があるが、資本家は大反対している。

今起きているGDPRなどはまさにこの潮流から起きている動きだろう。

クセノス

ギリシャ語で「他人」という言葉。そしてもう一つの意味は「他人への優しさ」という意味だ。

父はクセノスから名前をとり、娘をクセニアと名付けた。

他人へ優しく、経済がよくなるように願い、そして格差のない未来へすすめるように正しい選択を選べるようにと。

(了)