あきらめの悪い創業者

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創業者としての自分の存在価値って何だろうか。
このテーマを折につけて考えているが、最近自分の中でやっとシンプルになった。結論は「ゴールに対してのあきらめの悪さ = Grit」という一点につきる。スキルとかドメイン知識、人脈、ネットワークなどはあとからでも身につけられるが、Gritだけは誰も教えることができない。
自分ははあきらめの悪い創業者だ。これは宣言でもある。周囲からの自分への期待も「あきらめの悪さ」の一点に尽きると思う。
10xな体験を社会実装するために、30年やる覚悟で起業している。これまでも大小課題はあったがハナクソみたいなもんだと思う。現にすべて解決してきた。今後もそうする。正直Hard Thingsに出くわしたことは一度もない。運も良い。
 
先日10Xへ投資してくれたはじめてのVC、DCM Venturesの原さんと先日はじめてアジェンダなしのMTGをした。この機会はとにかく良かった(全起業家に勧めたい)。
世界中のスタートアップを見て、聡明なアナロジーを持って語る原さんをもってしても「投資家の創業者へ対する期待は米国・中国・日本どの国であっても執念」と話していた。真理だと確信する。
プロダクトでも事業でも、種を見つけ出して大きく育て、成功させるというのははっきり言ってめちゃくちゃ難しい。
難しいながらにも、手法として大きくは2つあると考える。
  1. 顕在化している短期的トレンドに対し、素早く・物量を持って仕込む方法
  1. 淡々とペイン/市場と向き合って、やり続ければ必ず大きくなるドメインで勝負し続ける方法
前者は渋谷のタピオカ屋。僕が尊敬する「ファナック稲葉さん」「7&i 鈴木さん」は後者。
この二人の共通項は「あきらめの悪さ」だ。30年かけて兆円企業を創ったが、創業期の壁とそこでの執拗な振る舞いは随所で語られている。自分もかくあるべしと背筋が伸びる。

 
一般に創業者は「0 →1が仕事」のように世間的には思われているかもしれないが、それは大きな誤りであると考える。そもそも0→1だけ、10→100だけやればいい打席なんてどこにも存在しない。スコアし、勝利して初めて価値がある。
そもそも何が0で何が1なのか定義も曖昧でこの表現は嫌いなのだが、「その0 → 1は、1から先の成果によってしか肯定されない」という事実は見逃されていないか。
結論、成果を出すはじめから最後まで責任を持たねばならないのだ。特に発明を狙うなら。
 

「諦めの悪さ」の作り方

「諦める理由をすべて潰そう」と考えてきた。
10xなものなど、誰も具体的に想像すらできていない。具現化するまでに人があきらめうる理由なんて1万個はある。そのすべてを潰せるから10xが創れる、と考えるとだいぶ気分が楽になる。以下、具体例だ。

誰も信頼してくれない

投資家も従業員も自分が見ている未来への共感から始まり、つぎに行動を評価する。ビジョンを磨き、アウトプットを創れ。創らない人はただの詐欺師。

キャッシュが尽きそう

死ぬ気で稼ぐか集める。そもそもキャッシュから「いつまでに、何を」を計画し行動する。

プロダクトがうまくユーザーをスティックできない

スティックできない理由をすべて言語化して解決するまでつくりなおせばいい。なぜ途中で辞めるのか。

市場がないから伸びない

市場を見つければいい。見つかるまでやればいい。市場が見つかればプロダクトも答えに近づく。なぜ途中で辞めるのか。

どうすべきかが決められない

意思決定できない理由の95%は知らないからだ。己の知識不足を呪い、死ぬ気で知識を集める。最も重要な知識は、そのドメインに最も詳しい人にハブのようにまとわりつかないと得られない。ほとんどの人はこれをしない。

〇〇ができない/わからない

スキル/知識を身につけるか、評価できるまで勉強し、適切な人を見定めて信念を持って巻き込む。1stチョイスは常に自分の戦闘力を上げることなのに、なぜかこれを避ける人は多い。

Gritと原体験戦争

創業者に求められるGritは何によって構成されるものだろうか。正直「原体験」以外にないと思う。
TwitterのTLを眺めていると時折「原体験など不要」という論調が目につく。こういう論調に対して
  • なら今すぐUSへ渡りNext facebookを作り始めないのはなぜなのか?
  • なずすぐに中国へ渡り、Toutiaoを倒さないの?
と思ってしまう。
そのスタートがきれず日本で事業を開始している時点で、日本人に向けてまずエントリーしている時点で、ほぼすべての人が「日本で育った」「日本の文化で育った」といった原体験に縛られている。
注: 極論です。
創業とは0.1%の「自分だけが知っていること(原体験)」をベースに、99.9%の「自分が知らないこと」の理解を進め、描いた世界へ落とし込んでいく作業だ。
知っていることを増やす過程で、「想定していなかった事実」「ショッキングな事実が」数多く明らかになる。事実は想像より残酷。
その度「続けること」を選ぶには「自分だけが知っていることへの盲目的な確信」以外は役に立たない。
例えば「市場がないから辞めよう」はその時点で確かに合理的だが、「市場がないけど見つかるはずだからやり続けよう」を選ぶ、というのはそういうことだ。
そういう意味では田舎のマイルドヤンキーとして育った自分は破茶滅茶にラッキーだと思っている。

周辺知識は必要なときで十分

これを読んでほしい。
「正直VTberがどうこうとか、全く追いかける余裕がない」という僕に原さんがかけてくれた言葉。安心して大きなユーザー/産業イシューにフォーカスしていける。超絶にありがたい。

PS.

最後に、なんだかんだ自分より売れている人はたくさんいるけど、自分よりヤバイ人はどこにもいない。俺が一番ヤバイ、自分たちが創るプロダクトが一番ヤバイと思いながら日々やっている。
この「根拠不明な自己肯定感(self-esteem)」がGritの本質かもしれない。自己肯定感の形成は幼少期の環境に依存する部分が大きいことが多くの論文で示されている。つまり原体験だ。