道草を楽しめ 大いにな
般若というラッパーがいる。
現在ラップは日本史上で何度目かの市民権を得るチャンスの中にある。般若はその中心にいる。
2012年以来、高校生ラップ選手権、フリースタイルダンジョンといったテレビ番組をきっかけに、MCバトルという文化((ラッパーがビートに乗せて即興で言葉を吐き相手をDisる。即興の中で韻を踏んだり、ビートにハマるフロウ(音程)を表現することでグルーヴを創る。ラップの代表的な文化の一つ。))が大流行している。そして2016年現在、MCバトルは若手のラッパーがバイト暮らしから「ラップで食っていく」ための最高のステップになっている。そういった若手のラッパーにとっての現代のカリスマが般若である。
他方で、その般若もまた、彼がラップを始めるきっかけを創った90年代のカリスマラッパー達への敬意を歌っている。
ギドラ ブッダ 雷 ペイジャー俺が狂ったのは奴らのせいさ((それぞれ90年代に活躍したキングギドラ、BUDDHA BRAND、雷、MICROPHONE PAGERというHipHopグループ)) ― 般若『最ッ低のMC』
若き10代の般若は”山頂”と出会い、目指し、そして現在では圧倒的にオリジナルな存在になった。そんな今でも彼は日本語ラップという”言葉遊び”を日本で一番楽しんでいるようにみえる。即興でラップをし、楽曲を創り、自身のレーベルを立ち上げ、仲間や後輩をプロデュースし、ブログを書いている((昭和レコードというレーベルを経営し、即興podcastへボイスブログを過去数年来投稿し続けている))。
「ギドラ」「ブッダ」「雷」「ペイジャー」という”山”に狂った彼は、未だその山を登り続けているのだ。
名声や金を得て「アがったアーティスト」は数多くいるが、彼はそういった存在とは一線を画する。未だ「ラップ道」という道中を一番楽しんでいるのは般若だと思う。
Google が見つけた”登りきれない山頂”
『世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること』
僕は一年半ほど、Google の中で仕事をしていたことがある。
そこで最も驚いたのは上記のミッションステートメントの浸透度だ。PRやプロジェクトマネージャーならまだしろ、「フロアに普通にいる社員」がミーティングでこのメッセージを(それも何人も、何度も)口にしたとき、Google の真の強さに触れた気がした。
しかしそんなGoogle ほどの革新的で、スピードがあり、イノベーティブな組織でも自らが掲げた使命を達成することはできていない、というのはもっと注目すべき事実ではないだろうか。もしかしたら今ではFacebookのほうがGoogle の使命に対してより近いところにいる可能性もある((ちなみにFacebookの使命は「世界をよりオープンでより結び付けられた場所にする」こと))。
この事実を僕はこう読み取っている。『Google はあえて”達成できない使命”を設定している』のだと。
大切なものは ほしいものより先に来た
僕HUNTER x HUNTERというマンガのビッグファンだ。あれは人生が学べるからいいぞ。
この単行本の32巻に以下のようなシーンが有る。主人公のハンターであるゴンが、父親でもあり伝説のハンターでもあるジンへ対し「今ハントしたいものは何か?」と尋ねるシーンだ。
ジンが狙う獲物はいつも人々の想像のスケールを遥かに超える。そんな遥か「山頂」を目指す道すがらで、ジンは「仲間」や「シェア」といった山頂以上に大切な存在に出会ったと息子ゴンへ説く。
「大切なものは ほしいものより先に来た」
このメッセージはあらゆる山頂を目指す全ての人を勇気づける名言だ。
遙か先を目指すからこそ、プロセスから大切なものが得られる。その事実を「知って」いるからこそ、何度も高い山頂へアタックし続けるモチベーションとなる。
- 日本の僻地からアメリカンフットボールの最高峰・NFLを目指し、あと一歩まで到達した部活の先輩
- 『旅をしながら暮らしたい』と一言だけ残して、本当に就職せず世界中を放浪しながら暮らしている同級生
- 史上最高齢でエベレストを登頂した高校の先輩
これまでに僕を魅了してきた人々。そういえば彼らはみんなジンと同じことを体現しているような気がする。
ちなみにこの名言は1998年の連載開始から18年が経過するも、「10数ヶ月休載しては年約10週だけ連載再開する」というルーティンによって一向にストーリーが進まないHUNTER x HUNTERの著者、富樫氏を自己正当化する高度なメタファーとも読み取れる。彼自身がこの漫画にあまりに高度な山頂 = 結末を設定してしまったために、全力で寄り道を楽しんでいる最中なのだ。
完成しないプロダクト
般若、Google 、ジン。三者三様の山頂を目指している。そして彼らはその道中を楽しんでいる。
そして僕が今登っている山を平たく言うとこんな感じになる。
「プロダクトを通じて世の中を豊かにする」
僕と同じように、種類を問わずプロダクトを創っている個人ディベロッパーや組織は国内だけでも数十万と存在する。一方で世の中を豊かにする、というインパクトを残せるのは5年に1つといったところだ。このことからもこの山の山頂は極めて高いものだと思っている。
また少し前の僕はエンジニアリングのことも、デザインのことも、ユーザーのことも、プロダクトの作り方も知らない、そんな状態だった。
それでもプロダクトに向き合い、小山を乗り越えたり藪にハマったりするうちに、ジンと同じように「手助けしてくれる奴」や「たまたま行き先が同じで道中を一緒に楽しんでくれる奴」が現れるようになった。すごい小さいことだが、Twitterで彼らと日常をupdateすることも、プロダクトに狂い続けられるモチベーションの一つだと最近になって気づいた。
道中を楽しもう
Google の例が示すとおり、実はプロダクトという存在は「完成することがない」。理想と現実の間は埋まることがないのだ。プロダクトを創るというのはそのギャップの間を走り続けることであり、膨大なコミットとそれなりの覚悟と、時間を要する。ビジョンを満足する結果なんて簡単にはでない。
プロダクトマネージャーの数だけ、その横に孤独や葛藤との戦いがあると思っている。なにより僕自身がそうだ。そういったプロダクトマネージャーこそ、道中を楽しんでほしい。
「暮らす人と旅しよう」と掲げ、今や時価総額3兆円にも達すると噂されるAirbnbですら、創業時の2008年には泣かず飛ばずのプロダクトだったという。それでも彼らは山頂の高さと、道中を一緒に楽しめるメンバーに引っ張られて、ここまで歩みを進めてきた。まさに「旅」の概念を変えようとしつつある(Airbnbは僕も大好きなプロダクトでもある)。
プロダクトマネージメントは一種の旅である。”踊る阿呆に踊らぬ阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損”。どうせならめいいっぱい道中を楽しもう。
道草を楽しめ 大いにな - ジン