良いチームとは何でないか

「良いチームとは何か?」という質問を投げかけると、答えが多様にわたり、同じチームに所属していたとしても認識が全く揃わないことはザラである。
 
アメフトチームをコーチしていた時。この組織の目的は驚くほど明確で「全ての試合に勝つこと」以外に存在しない。と、僕は思っていたが、チーム全員(100名超)との1on1を行うと
  • 「チームでの評価が上がる」
  • 「仲間との関係」
  • 「〜に憧れている」
などの、「勝利」と直結しない所属動機が浮き彫りになった。また仕事におけるチームでも、同様の質問を投げかけると
  • 「会社に来るのが楽しいこと」
  • 「コミュニケーションがスムーズ」
  • 「お互いが尊重し合える」
など、必ずしもチームが達成を目指す成果に結びついていない回答が殆どであったりする。このことから、誰もが良いチームを定義することはできるが、その認識を揃えるのは難しいというギャップに気づく。

チームの起源


チームが組成された根源を遡ると「個人キャパシティを超えたリターン達成 + リスク平準化」が本来の目的であるはずだ。
例えば「株式会社」という組織体は大航海時代における(個人では達成し得ない)航海というプロジェクト実行とリスク/リターン分配を目的に設立されたものであり、その最たる例だ。
「チームの良し悪し」とは、シンプルにそのチームがもたらすリターンの多寡で語られるべきではないだろうか?

良いチームを「示さないもの」


経営視点、従業員視点、投資家視点など、チームに関わるステークホルダーの様々な思惑から「良いチームとは」が多角的に語られ、数多くの通説が転がっている。これらの多くは「すでにリターンを出しているチームに見られる共通項」をまとめたものではあるが、 必ずしも「良いチームを示すもの」ではない。例を挙げてみよう。

1 / チームの心理安全性が高い

心理的に安全な環境では、何かミスをしても、そのためにほかの人から罰せられたり評価を下げられたりすることはないと思える。手助けや情報を求めても、不快に思われたり恥をかかされたりすることはない、とも思える。そうした信念は、人々が互いに信頼し、尊敬し合っているときに生まれ、それによって、このチームでははっきり意見を言ってもばつの悪い思いをさせられたり拒否されたり罰せられたりすることはないという確信が生まれる。
心理安全が約束されている元でこそ、本来のパフォーマンスが発揮できる、という内容はおっしゃるとおりだろう。Googleが社内に対して実施した調査結果においても、他者への尊敬・配慮を示すことがチームの生産性を高める要因ではないか、と結論されている。他者へのリスペクトは確かに大事だ。疑う余地もない。
 
しかしメンバーがパフォーマンスを発揮しても、それがリターンへ結実しなくては価値はないのではないだろうか。心理的安全性の重要さには全くの異がないものの、それ単体のみで重要性を語られることに自分は違和感がある。

2 / 壮大なビジョンがある

成し遂げられないビジョンに価値はない。
例えば「世界から貧困を無くす」は素晴らしいビジョンだが、本当に価値があるのは「貧困を減らす具体的な行動」である。

3 / 素晴らしい人材・多様性のある人材が採用できている

人材が揃っていても、各々が多様であり様々な強みを保有していたとしても、それが発揮されリターンへ繋がらなくてはチームに価値はない。

良いチームとは「何か」


リターンが明確で、リターンを出し続けるチームである。
 
チームの良し悪しは、リターンの多寡によってまず語られるべきではないだろうか。チームを組成したリーダーは、「速やかにリターンを定義し、繰り返し説き、チェックを怠らないこと」が唯一の仕事だとすら思う。
 
一方、チームとは「人」の「集まり」であるため、「コミュニティ」という側面を必ず持っている。先に挙げた3つの要素はコミュニティについて語っているものだ。しかし残念ながらコミュニティは再現しない。その時、その場、その人限りである。
 
リターンを出すために最適コミュニティを形成しようとした結果として「心理安全が保証されるチームを構築した」「徐々に目指すところが大きくなり、ビジョンが壮大になった」という”結果論”だと考えている。
 
「ミッション・バリューを設定しよう!」 という号令がうまくワークすることは稀だ。これはチームのコミュニティ側面を言語化する行為にすぎない。既にリターンを出しているチームを、コミュニティの側面から強化するために必要な行為ではないだろうか。

メルカリの再現性はあるのか

逆説的だが、既にリターンを出し続けているチームに新しい人を入れる場合、「そのコミュニティに馴染んでリターンを追い求められるか」というのは巨大な論点となるだろう。日本のスタートアップ界隈で有数の伸び率を見せるチーム、メルカリはバリュー採用を行っていることを公言している。
 
これはメルカリというリターンを出し続けるチームには既に強固なムラが出来上がっており、「リターンへ寄与できるスキルセット」と同じくらい「出来上がったムラでパフォーマンスできるかどうか」が論点になっているからだと推測できる。だからこそバリュー共感を重要視した採用をしており、そこに合理性が存在する。
 
これを模倣し、できたばかりのチームがメルカリ採用手法の採用したところで「良いチーム」を形成できるか?メルカリのような成長を再現できるか?については大きな疑問がある。採用方法より、まずはピュアにリターンを追い求めることが重要ではないだろうか。
 
ミッション・バリューの言語化は、「リターンを出すために最適化しつつあるチームのコアコンピタンスを言語化・再認識し、さらに研いでいくための儀式」だ。重要ではあるものの、本当の0→1のスタート時には、バリューよりも泥臭い事業へ向かう行動とリターン(事業)成長そのものがチームを良くするドライバーになってくれるはずだ。

さいごに : 幸福度は「伸び率」で決まる

先日ふと手に取った雑誌に、キンコン西野氏のこんなコメントが載っていた。
西野 : 僕ね、本当の「幸福度」というのは”クォリティー”ではなくて”伸び率”だと思うんです。 全隆 : 伸び率? 西野 : はい。たとえば、いつもテストで95点取っている人が96点とっても、それほど幸せではないけれど、いつもテストで0点の人が50点取ったときというのは、飛び上がって喜ぶと思うんです。もちろん、クォリティーでいうと、96点のほうが圧倒的に上なんですけど、「どちらが幸せか?」と聞かれると、50点のほうかもしれない。
 
本質的に幸福度の高いチームというのは、伸び率を高く保ち続けられている。逆に伸び率が低く、結果としてチームの幸福度が下がっているケースは多い。このケースにおいて、リターンが出ないチームの幸福度をコミュニティ的手段のみで高めてしまうことは、結果的にそのチームも、そのチームが向き合おうとしている顧客すらも不幸にする可能性があることは心に深く留めておきたい。