”複雑なものを複雑なまま扱う”とは何か

ファイターのマッチメイクとは、複数の不確実性の糸の集合(束)でできており、「複雑なものを複雑なまま扱う」の典型だと思った話です。
 
「複雑なものを複雑なまま扱う」というのは特にスタートアップ経営においては重要なスタンスだと考えており、その要旨について思ったことを書きます。
 
まずは以下の格闘技団体RIZIN・榊原CEOのインタビューを是非見てみて下さい。10分前後からスター・那須川天心選手のマッチメイキングについての話しています。
 
要約するとポイントは以下です。
  • 天心選手は主戦場であるキックボクシングを年内で引退を表明しており、来年以降より稼げるボクシングへ移行する。天心サイド・RIZINサイド共に、それまでの間に彼の興行価値を最大化できるマッチメイクを探っている
  • 今回はRIZINにとって非常にメモリアルな東京ドーム大会だったが、天心選手には相手が見つからなかった。キックボクシング界で名前のある大雅選手へ打診をしたところ階級が折り合わなかった(ここに関連するいざこざは省きます)。
  • 最終的にはピュアなファイトにはならなかったものの、「ベスト階級ではない60kg前後で、様々なジャンルの階級上の選手を、1Rごとに交代で3人と戦う」というチャレンジのあるユニークな企画にまとめた
 
おそらくここに名前が上がった選手や、当日試合を組んだ選手以外にも膨大な可能性の中から今回の糸を手繰り寄せたマッチメイクだったと推測します。その可能性、とは実は僕らの想像を超えるほど大きいものがあるのではないでしょうか。
例えば階級を前後させ別階級のスターとぶつける、海外のトップファイターを呼ぶ、ジャンルの違うサプライズファイターとマッチメイクする…などです。
 
実はこのいずれも天心選手は経験しており、特にボクシングのレジェンドであるメイウェザー選手との試合や、MMA国内トップの実績を持つ堀口選手との試合はRIZIN公式YouTubeチャンネルで長年ぶっちぎりの再生数となっています。
話を戻すと、RIZINサイドは「最も客が呼べる天心というカード」をどのように切るべきかというイシューがあり、その中で過去実績にとらわれずゼロベースで企画を構築する必要がありました。
その際に階級、相手の知名度、MMAかキックボクシングか、ルールをどうするか、アテンションが集められるか、などの複数の不確実性の束を抱えて処理しなくてはいけなかったと推測します。おそらく天心選手に限らず大小問わずすべてのマッチメイクでこの問に答え続けるのがプロモーターの役割でしょう。

不確実性の束に対する意思決定

本題です。格闘技業界では自明かもしれませんが、榊原CEOは日本有数のプロモーターであり、「複雑なものを複雑なまま扱う」ことにおける第一人者でもあります。
 
「複雑なものを複雑なまま扱う」とは「不確実性の束を抱えながら期待リターンを最大化するための意思決定術」とも言えます。それでは、この意思決定にはどういった態度が必要になるのでしょうか。
 
多くの仕事において、意思決定とは基本的に「直列」で行います。それはイシューを何枚かにおろし、サブイシュー単位で優先度をつけ、上から順番に「答えを出していく」ことになります。
 
この方法の良いところは、得られるアウトカムが見通しやすく、安定的であることです。プロダクト開発などにおいては非常に有効だと言えます。この発展形として、直列のイシューをさらに複数人で「並列化」して担当することもありますが、得られるアウトカムの見通しやすさや安定度はそこまで変わらないと考えます。
 
これに対しこのマッチメイクのようなケースはどうやら毛並みが異なります。
 
榊原CEOは大会単位での、あるいは複数の大会を数珠つなぎにした数年の展望を見据えた業界全体のストーリーを複数想定し、「エンターテイメント性の最大化」を軸に動かれているように見えます。
 
そのため、時間軸も長く、同時に取り扱う不確実性も極めて多いです。どの大会でだれをメインに据えるか。相手は誰か、どういうストーリーか‥などなど素人が考えつくものを挙げるだけでもキリがありません。そういった状況では「1つの不確実性に対してすぐに答えを出さないこと」が期待リターンの上限を削らないためにも重要になってきます。
 
例えば今回の天心選手のケースに置いて、「体重は55kgで固定」と一つ不確実性を削る意思決定をしていたらどうなっていたでしょうか。おそらく今回のユニークな企画は生まれず、また天心選手に見合う相手も連れてこれず、結果的に彼がテレビに映らないということもありえたかもしれません。しかしそれはRIZINと天心選手のストーリー上「ありえない」ことだったと思います。
 
体重は?相手は?盛り上げ方は?告知の仕方は?こういったすぐに答えを出して計画を練りたくなるような答えをあえて保留し、最後までベストは何かを探るのが「複雑なものを複雑なまま扱う」ことです。これは一般的な仕事人からすると「ダメな例🙅‍♂️」に挙げられることでしょう。納期は守られず、常にショートノティスになり、そして毎回異常なチャレンジが必要になるわけですから。
 
我が身を振り返ると、こういった意思決定が日常だとは全く思いません。他方で2つだけ心当たりがあります。1つはエントリーするマーケットを選ぶとき。もう一つはエクイティストーリーを練るとき - つまり誰から、いつ、なんのためにという目的を明確化して資金調達をするときです。
 
詳細は省きますが、この2つについては一度の意思決定で得られるのは「事業リターン」ではなく「中期の成長キャパシティ」だと思っています。
 
いずれも決定する上での不確実性が極めて高く、正解など存在しません。そしてどちらも1Wayに近い性質を持っています。マーケットの選定は1度選んだら専門家になるまで辞められません(でないと結果も出ない)。株式は一度渡したら取り返しが付きません。Windowも限定されています。
 
日々の事業的なイシューの解決は、「成長」を創るためのものです。他方で、成長の時速や成長の上限は「複雑なものを複雑なまま扱う」ことによって決定づけられているのだと思います。だから故に、経営にはプレッシャーがあるのだと思います。
 
無邪気に「成長したい」という思いのこれまでから、「どうしたら兆円クラスになれるのか(キャップを大きくできるのか)」といった観点へ少しずつシフトしてきた自分にとって、今回の榊原CEOのインタビューは非常に含蓄に富む部分がありました。