令和5年5月5日

近況です。令和5年5月5日は生涯忘れることのない日付となりました。第3子となる長女が誕生しました。覚えやすい。
 
その日は昼頃より次男が熱を出しており、陣痛が来た妻への立会を泣く泣く断念。看病に徹していました ( 後にこれがインフルエンザパンデミックへとつながるのですが… ) 。それから数時間後、待望の長女が産み落とされました。
 
矢本家では6年ぶりの赤ちゃん。いつのまにか大きくなったお兄ちゃんたちが一緒に子育てしてくれる姿はあまりに尊く、あっという間にカメラロールとiPhoneのメモリを専有していきます。
娘に「売上No.1」を貼った次男
娘に「売上No.1」を貼った次男

創業者の育休?

長女が誕生してからは、2ヶ月の間少し特殊な働き方をさせていただいています。
フル稼働日は週1日とし、それ以外はSlackやGoogleMeetでのリアクションに徹する。いわば「特殊な育休」を取らせてもらっています。
 
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取締役にはいわゆる育児休業制度のような公的な補助制度はないため、このような特殊な形式をとっています。ただ代表責任を部分的に果たせない状態のため、2ヶ月分の役員報酬は返納という整理にしています。 この国における「役員や創業者の出産支援」は全面的に無策です。スタートアップ創業者や役員には出産適齢期の方も多く、スタートアップ支援の柱に入れるべきではと思う次第です。
 
この記事を書いている時点で約1.5ヶ月が経過しました。何かと比類することが不可能な貴重な時間と感じており、家族と過ごせることは最高です。ですが2ヶ月はあまりに短い。長くするにも巨大なジレンマがあり、悩ましいです。
 
個人としての育休は3回目なのですが、実は思えば一人目のときも、二人目のときも、育休をとりながら起業をしてしまっています。少し乱れた睡眠をとり、育児と仕事をぐちゃぐちゃに混ぜ、昼はMVPのためにコードを書いたり、出店者を集めるために営業に行ったりと、多忙を極めていました。
 
特に当時の自分は「今以上に何者でもなく、実績も力もない」という現状に焦る20代でした。2回の創業初期の様子は以下の2つの記事に書かれています。
※冷静に考えると新生児を抱えたタイミングに被せるのはクレイジーでした。妻に大きなしわ寄せがあったと思っており、猛省しています。
 
なにかに追われるように生きていた時期で、それでも子供や妻とのバランスをとろうと模索して、失敗したりしていました。第一子、第二子の幼少期の記憶は葉が抜けたようなものになってしまっています。
 

人生の希望をいただいている

よく家族みんなで「みてね」という共有アルバムを見ながら、新生児の長男や次男がどういう仕草だったとか、どういう癖があったとか、どういうときに困ったよねとか、そういう話をします。
 
が、僕だけ記憶がなくて、こういったことをくっきりと覚えている妻とも話が噛み合わない、みたいなことがたくさんあります。
 
でも残っている記憶の断片や、写真を見たときに思い返されるソレは「他のあらゆる記憶と比較ができないほど嬉しい記憶」「行きていく上で心の支えとなる幸せ」として刻まれています。
 
年齢的にも最後かな、と思っていた第3子が来てくれました。だから今回は「絶対にこの瞬間を忘れたくない」と口に出しながら抱っこに精を出す毎日です。
 
子供を育てているのではなく、生きる希望を受け取っているのだとはっきりと自覚しています。子供からは「もらうもの」のほうが遥かに大きいですね。育ててるより育てられてるYo。
 
ちなみに過去2回の経験から、妻は「育休と言いつつまたどこかに行ってしまうのでは」と思っていたらしく、「今回は完全な戦力となっていて驚いている。むしろそろそろどっかに行ってしまうのではないかと恐ろしい…」とご評価いただいています。おおよそ、僕も同じ自己評価でございます。はい。

窓は開いたときしか飛び込めない

一方で10X社の方はこの1年、あるいは数年の将来を決めるであろう重要な窓がいくつか同時に開いており、そこへ飛び込んでいる、という状況です。
 
自分の時間をしっかり投資すべき事案である一方で、育児との時間のジレンマもあり、個人的に受ける心理的な負荷が大きいです。この「窓は開いているときにしか飛び込めない」という話は社内でもよく使うメタファーです。
 
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なお2018年夏に初めて1時間のMTGを行ったDCM本多さんから問われた言葉でもあり、以降大事にしているものだったりしています。
 
ただ週1の稼働ではいろんな仕事を削らなくてはいけません。逆に私としては会社の命運を握るような「窓」にだけ集中をさせてもらっているともいえます。
 
ただなんとかうまくコーナリングできているのは、この3年でリモートやオフラインをうまく使い分けながら組織がパフォーマンスできる下地を作れたこと、ドキュメンテーションを中心とした非同期の文化、次のリーダーシップへしっかり権限委譲が進んできていることなど、組織の運用地力によるところがデカいです
 
おそらく、今の機会が3年前に来たとしても、当時はチャレンジすらできなかったはず。客観的に10Xの充実を感じ取っているこの頃です。

自らを試し切ること

第3子が生まれたことは人生の節目となり、改めて自分と向き合うきっかけともなっています。
 
起業して6年が経ち、改めて「なぜ起業したか」「なぜこの会社を続けるのか」と自分に問うわけです。
これまでに語ってきた「創業の意義」はそれはそれで嘘ではないのですが、本心は別のところにあるなあ、と気づきました。
 
私のモチベーションは「せっかく頂いた命、自分を試し切りたい」という一点に落ちます。そして未だに「試しきった」という感情とは非常に離れたところにあります。まだ負われない、まだできる、まだ満足できない。そういうカルマがちゃんとあります。
 
精神・肉体的負担が耐えない仕事ではあるものの、これらに折れずにやり続けられる私の源泉は「まだ自分のポテンシャルを見きっていないぞ」という心理からなのだと思います。
 
会社の成長に負けないよう、自分を試したいと思います。